江戸時代、時の五代将軍綱吉の時代に生きた大老のひとりに柳沢吉保という人物がいました。柳沢吉保という人物、どこかで聞いたことはありませんか? あの有名な時代劇「水戸黄門」では、黄門様を快く思わない悪役として描かれていたことでも知られていますよね。
柳沢吉保は、江戸時代の前期に活躍した人物で知られています。柳沢家の発祥は甲斐の国(現山梨県)で、清和源氏の流れを引く甲斐源氏の一門です。甲斐源氏といえば戦国時代の武将武田信玄が有名ですが、柳沢家も武田氏の一門宗だったのです。
残念ながら、吉保の生まれたときにはすでに武田家は滅亡していました。武田家の家臣は徳川家康によって徳川家家臣に名を連ねていましたが、吉保の祖父もまた武田家から徳川家家臣に登用されたひとりでした。
柳沢吉保が世に頭角を現したのは五代将軍綱吉の時代でした。綱吉の寵愛を受けた吉保は、1688年に大名へと登りつめます。1694年には川越藩主となり、その後甲府徳川家の家宣が綱吉の後継者として決定されると、家宣の後任者として甲府藩の藩主となります。ちなみに吉保の名前は松平吉保ともいい、将軍の名字である松平と、綱吉の名前から一時を拝して吉保という名前になりました。
吉保は、綱吉の死後権力を失い、その後江戸の本駒込で隠居生活を送り、57歳でこの世を去っています。
柳沢家はその後、家督を譲りうけた長男吉里の時代に甲府城から奈良県の大和郡山城へと移るわけですが、大和郡山といえば日本でも有数の金魚の産地として有名ですよね。当時金魚の養殖は武士の副業として盛んでしたが、甲府城下でもそれは例外ではありませんでした。その後の大和郡山城に移る際に、吉里が甲府から金魚の養殖業者も一緒に連れて行ったことが、大和郡山における金魚文化の発祥だと言われています。
柳沢吉保の遺徳を偲び、現在でも山梨県の甲州市にある恵林寺では武田信玄の墓所の隣に吉保の墓所があり、また大和郡山市の永慶寺にも吉保の墓所があります。甲府市と大和郡山市は、柳沢家の縁で現在では姉妹都市として盛んに交流が行われています。







